JUN
TOMITA
TEXTILE STUDIOKYOTO, JAPAN

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ピーターと僕

2017/07/06

1978年夏に初めてピーターを訪ねて行きいろいろな染織の話しを聞かせてもらいました。彼の代表的な作品であるShaft Swiching のラグやMacro-gauze のタピストリーを見せてもらいながらの技法の解説やそれが出てきた背景などをやさしく判り易く説明してもらいました。わずか数時間の滞在でしたがその優しい眼差しと親切な人柄に魅せられぼーっとして帰ってきたのを覚えています。その後お礼の手紙を書いて僕が如何に彼の仕事に引きつけられたかを伝えました。そして12月に入って一通の手紙が彼から届きました。イギリスにきて半年余り今度のクリスマスにはどこか行く所があるのかな?もしよければ彼の家族と一緒にクリスマスを過ごさないかというお誘いでした。イギリスのクリスマスはやはり日本の正月と同様、家族と一緒に過ごすことが普通でそんなところに呼んでもらえるなんてと大喜びをしました。イブからクリスマスの当日そしてボクシングデイと3日間を彼と奥さんのエリザベス、息子のジェイスン娘のレイチェル達と静かに楽しく過ごしました。それ以降時々の手紙のやり取りなどで連絡を取るようになりました。

僕はイギリスの美術大学Weast Surrey College of Art and Craft (現 University for Creative Art)の染織科に入ったのですがそれ以前に日本やオーストラリアなどでの経験を考慮してもらい基礎の1年と本科の3年のコースを2年で終了できることになっていました。それに加え週1の非常勤講師としても同じ染織科の中で教えるようにもしてもらいました。ちょっと日本では考えられない計らいだったのですが僕としてはうれしい待遇でした。それに加え僕は自分が勉強したいカリキュラムをある程度自由に組むことも許してもらっていました。(勿論学科の論文の提出は義務づけられていましたが。)そんな訳で学校に行く変わりにピーターの工房で彼の仕事の手伝いをすることで単位をもらえるように交渉したらすんなり認めてもらいました。彼の工房での約3ヶ月は僕にとっては夢のようでした。ピーターの一挙手一投足を見ながら仕事ができる、それまで自分のペースでやっていた仕事も彼の手の動きの素早さや要領を見ることで毎日が充実したでした。また毎晩の食事のあとの団らんでも彼が見てきた世界の染織の話しや手ほどきなどを受けるありがたさ。そしてあてがわれた寝室がピーターの図書室であったことで毎晩ベッドに入りながらとてつもない数の蔵書の中から数冊の本を持ち込み眺める(読む)幸せを味わいました。

知れば知る程ピーターの染織に関しての造詣深さに感心させられました。しかしそれだけではない彼の魅力を毎日接することで感じどんどん魅されて行きました。彼の人懐っこい笑顔や機知のあるジョークを聞くたびにこんな人になりたいと思い僕の目標になっていきました。イギリス滞在中の3年半の間にはことあるごとに彼に会いに行きました。そしてそれ以降も長い付き合いになりましたが絶えず僕の指標であり続けてくれました。こんな風に最初はなんだか訳の分からない日本の若造に対しても親切に隔たりなく接してくれたことには未だに感謝しています。そんなこともあって僕は国内外関係なく若い染織を目指す人たちには僕がピーターから受けた恩返しだと言う気持ちも含めてなるべく見学などの受け入れをしていきたいと思っています。

ピーターのことはまだまだ書きたいことがいっぱいです。つづきは別の機会に。IMG_2388   IMG_2387

やはりピーターはすごい!!その2

2017/07/05

「The Techniques of Rug Weaving」というラグ織りの技法書のことを先日書きました。長い間その本の日本語版の出版を諦めていたのですがやはりなんとかしたいと思い始めているこの頃です。そこでピーターのことをもう少し詳しく書いてみようかなと思います。

1922年イギリス生まれ、父は医者で生理学者、母は古典学者でした。また彼の大叔父さんはあの「不思議の国のアリス」で有名なルイス・キャロルでした。そんな家庭で育った彼は当然のように医者になったのですが赤十字の医者としてオーマンに赴任していた時に出会った織り物に魅せられ自分でも織り物をしたくなったようです。そして家族の反対を押し切ってその当時染織家として一番名の知れていたエシル・メレーの工房に入って織り物の勉強を始めました。その後もふたりの工房に入ったりしながら織り物の勉強をし1952年にロンドンに工房を設立しました。

安定した収入のある医者を家族の反対も押してやめ織りものを自分の職業として選んだのですからなんとしても「織り」で食べて行こうとがんばったようです。もともと手を動かすのが好きだったようで質のいいものを早く作れるように道具もいろいろ開発していきました。「いいものを早く」という考えは彼の生涯徹底していました。その為にはどうしてらいいのかを絶えず考えていたと言えます。

たくさんのいろいろな彼の功績を書き始めたら時間がいくらあっても足りません。と云うことで大きな発明とも言える二つのことを簡単に説明します。その一つはMacro gauze という技法です。織りものの基本は経糸と緯糸が直角に交わるということですが彼が考えついた方法では経糸どうしが交差したり捩じれたりすることも可能で3Dにも動けるという技法です。この技法を使ってのタペストリーは他には見れない独特のものです。(写真参照)もう一つはShaft Swiching というものです。織りものでは経糸を一度織り機にセットするとそれらの経糸を上下させる綜絖という装置からは動かせられないのは誰もが知っていることなのです。しかし彼のあみ出した装置を使えば経糸が綜絖間を行ったり来たり出来るとようになります。それによって織りだせるパターンの自由度がとてつもなく増えることになりました。これら二つの技法、特許を取ろうと思えば十分に取れたものと思います。しかしピーターは自分でも織りもので生計を立てるのに苦労をしてきたことからひとりでもこれらの技法を使うことで暮らしが成り立つのであればという気持ちからあえて特許を取らなかったと話してくれました。技法のことではまだまだ書きたいことが山ほどですが今日はこのくらいでやめておきます。

1964年に工房をNayland に移した後、かれの活躍は世界中に知られるようになりアメリカには毎年のように講習会をしに行っていました。1969年にはVIctoria & Albert Museum で生きている工芸家としては初めての展覧会を陶芸家のHans Coper と一緒に開きました。また1974年にはエリザベス女王からOBE の称号を貰いました。ただ着ていく服を持っていない(めんどくさい)という理由で宮殿には行かなかったようです。あるとき恥ずかしがり屋の彼はあれは自分の織りものの評価で貰ったものではなく、自分が医者をやめたおかげで何人もの患者を救ったので貰ったんだとにやりとしながら教えてくれました。

ラグ以外にもSprungという技法、Tablet Weavingの技法そしてPry Spritting の技法書など深く掘り下げた本をいくつも出版しています。そのどれもがすばらしいものです。彼が亡くなって約10年未だに彼を思い出し困った時には教えを請うています。

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帯の染め、継続中です。

2017/07/04

今日は暑かった!湿気がすごくてムシムシした工房には唯一扇風機が2つあるだけです。クーラーなる近代的設備はなくただ耐えるだけ、精神的にも強くなります。でもまだ7月の初め、本格的な暑さはこれからです。

工房は右京区嵯峨越畑という里山にあります。自宅からは歩いて7〜8分、かつてはシクラメンの花を栽培していたガラス張りの温室を改造したものです。広さは約60坪、かなり広く長さもあります。3分の1は染め場で残りが機織り場になっています。なにせ広いので暖房、冷房など快適にするにはコストがかかり過ぎる為我慢が要求されます。東に地蔵山がある集落の山際に工房があるので午前中はそこまで暑くなりません。しかし午後からは陽が差し込むようになるので室温は急上昇します。5月くらいからはサマータイムを実施し朝は8時から仕事を始め昼休みを長く取るようにしています。でも暑いのに変わりはありません。ただただストイックに仕事するのみです。救いは朝晩が涼しくなってくれることです。寝苦しい夜というのは一夏に一度あるかないかなのでありがたいことに夏バテにもなりません。食欲不振の経験もありません(これは単に食いしん坊ということかも)。そんな環境で過ごす毎日ですが楽しみは夕方の愛犬との散歩です。棚田が広がる山里の緑と時には夕焼けの空が気持ちをふっと優しくしてくれます。

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やっぱりピーターはえらい!凄い!! その1

2017/07/03

Peter Collingwood (1922-2008)イギリスの染織家、彼のことは一度には書ききれないくらいにありますので何回かに分けて書きます。

僕が彼のことを知ったのは1978年、僕が南オーストラリアの工芸研究所(The Jam Factory) に入った時からです。日本の染織を伝えるという一応の名目でこの研究所にたまたまうまく入り込んだ若造の僕は(当時27歳)日本から持って行った染織関係の本を読みあさりながら試行錯誤を繰り返し「絣の織りもの」を好きなように作らせてもらっていました。天国のようでした。あまりの待遇の良さにこれは本気で勉強しなくてはとそれまではぐうたらな僕が思ったくらいでした。ということで遊びの誘惑があっちこっちに転がっているアデレードの街にいて平日はもちろん、週末もせっせと工房に通って仕事をしていました。そんな折工房で見つけたのが「The Techniques of Rug Weaving」と云う本でした。初版が1968年。出版されてすでに10年、そのときには4版か5版もされていたもので当時の染織関係の人たちには「織りもののバイブル」的存在になっていました。

まだ英語がうまく話せない、読めない僕でしたが丁寧な図版つきのこの本には織りの技法に関して知りたいことがそこに書いてあるという素晴らしいものでした。ついでに染織の専門用語を勉強する手引きにもなりました。そんな染織三昧な2年間を過ごしたあともう少し染織の勉強をしたくイギリスの大学に行くことになりました。6月に渡英し9月に新学期が始まる前の夏の間に僕はあこがれのピーターに会いに行きました。Colchester の Nayland という小さな小さな田舎町にあるかつて町の小学校だった建物を改造して工房と住まいになっているところに通され開口一番「What can I do for you?」と云われたのをいまだにしっかり覚えています。あこがれの彼に会えただけ、工房を見せてもらうだけでも十分と思っていた僕はただもぞもぞしていたように記憶しています。彼との出会いはこれくらいにします。また次回以降いろいろな話しを書けたらと思っています。

ところで今日「やっぱりピーターはえらい!」というのは先日織った帯でふと気づいたことから思ったことです。写真の帯のお太鼓の真ん中部分を見てもらうと判り易いのですが横段で右側が黒、左側が白のところ今までであれば緯糸に黒を使うと白の部分が経糸の白に黒が入るので白がスッキリしなくなります。そこで右の本の図版で見られるように右からは黒の緯糸、左からは白の緯糸を入れお互いにぶつかったところで引き返すように織って行けば黒は黒、白は白と緯絣のように織ることができます。この技法は技法としては知っていたのですが自分の作品に使うようには思いつかなかったのですが今回ふっと思い出したら大正解でした。ピーターありがとう!

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工房は休み

2017/07/01

梅雨の合間の晴れ時々曇りそして時々小雨の一日。

工房は2週に一回のペースで土日を休みにしています。ということで今朝は少しのんびり犬の散歩やら家の片付けをしてから工房にお出かけ。昨日の帯の染めの続きを。まだまだ思っている色にはなっていないけれど少しは近づいてきています。

近い内にしっかり書きたいと思っていますが今更ながら僕が師と崇めているピーターはやっぱりえらいとつくづく思います。彼が書いた「The Techniques of Rug Weaving」はラグ織りのための技法書ではあるけれどそのひとつひとつが他の織りにも当てはまることが多くやはりこの本の翻訳版をなんとかしたいと思います。もう20年程前になりますが550ページ程のこの本を日本語訳にしました。その当時は出版社もその気になっていたのですがいつの間にかたち消えになってしまっています。どなたかいいアイデアがありましたら教えて下さい。

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今日は6月最後の日

2017/06/30

今日は月末、もう半年が終わってしまいました。ほんとうに時の過ぎるのは早いものですね。午前中は諸々の野暮な仕事に終わりました。

先日織り上がった布、蒸しをした後洗いをかけ干し上がったものに裏打ち。これらはパネル張りの為最近は和紙で裏打ちをした後にパネルに張る用にしています。平行して新しい帯の下染めも始めました。今日の分は全くの下仕事なのでまだまだ変化していきます。昨日のブログでも書いたように経糸に数種類の絹糸を使っているのでこの梅雨時の湿気で糸の伸び方が違い均一にすることも難しいです。なかなか大変なこともありますがそれも楽しまなくては。

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やっぱり織りがおもしろい!!

2017/06/30

何回目にかなりますがまたまた一年余りこのブログを休んでしまいました。時々ブログを更新しなくてはと思いながらなかなかこのページに入ることができずにぐだぐだしてました。ただ仕事は順調にきていてこの一年も楽しくやってきました。以前にも書いたかと思いますが還暦を迎えた頃から生涯現役を自覚したと同時にそれまで以上に仕事が面白く思えるようになりました。不思議なことですが事実です。

さて今日も織りをしていてつくづく「織り」が面白いなあと思わされました。織りものは経糸に緯糸を交差させることによって成り立って行きます。僕のつくる織りものの場合、経糸に数種類の糸を混ぜ込みます。つまり同じ絹糸でも糸の太さが違うものや撚り加減の違うものなどいろいろな糸を組み合わせて整経します。そしてそれらの糸に染めを施す訳ですが当然太さや撚りの違う糸は同じように染めても同じようには吸収してくれません。つまりひとつの巾の経糸の中に同じ色の染料で染めてやっても濃淡が出てきます。それに加えて僕の場合はいろんな色を染め重ねますので経糸に何重にも染まった色が重なり尚かつ濃淡のある色が複雑に混ざり合います。そんな経糸に今度は緯糸を入れて行きます。例えば青の経糸に黒の緯糸を入れてやると深い青になります。赤の経糸に黒、黄色の経糸に黒とそれぞれ織ってみると経糸だけで見ている色よりは深みのある落ち着いたものになります。これらのことは「織り」で出来る特徴で染め物ではこうはいきません。「布染め」の場合、白生地に染めを施すので布全体が均一に染まってしまいます。織りのように経糸と緯糸の色を変えることができません。

このように経糸と緯糸を交差させて出て来る色の深みを最大限に利用して「織り」をもったもっと楽しんでいきたいなあと今日もつくづく思いながら仕事をしていました。これからはなるべく気楽に日記的なものも含めてこのブログに自分の感じたことなど発信していきたいと今思っていますが果たしてどこまで続くやら?

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Selvedge ( イギリスの雑誌)5月号に掲載されました

2016/06/14

すっかり遅くなってからの報告になりましたが先頃イギリスのテキスタイル関係の雑誌の「Selvedge」5月号に私の仕事のことなどが紹介されました。英文なので申し訳ないのですが目を通していただけたらうれしいです。

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IKI 粋 SUI 展に出品

2016/05/06

新緑の美しい季節になりました。ゴールデンウィークももうそろそろ終わりですかね。

さて先の5月1日から始まった「IKI 粋 SUI 展」に1組の作品を出品しています。会場は京都「 染め・清流館」で6月12日までです。

 

昨年の秋に出品を依頼され「粋」とは何か?自分が「粋」やなあと思えるものは何なんだろう。他の人はどんなのを「粋」と感じるのだろうか?いろいろ自分のなかで考えてみました。「関東の粋=(いき)・関西の粋(すい)」と呼ばれるように同じ漢字でありながらそこには微妙に異なるニュアンスを従来の日本人は感じとってきたという。はたして富山生まれの僕はどうなんだろう。日本人が感じとってきた「美」そして自分が「粋」と思える「美」とは?

 

試行錯誤の結果、下の作品に行き着きました。自分の中では「ミニマム」と云う言葉と「美」とが絶えず重なっていることを再確認した今回の作品づくりになりました。スケッチから最終のものまでをお見せします。

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作品の下絵としてのラフスケッチです。

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織り上がったものを工房で掛けてみる。

 

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図録からの転載。

フェルトラグが復活しました!!

2016/02/25

永らく休止していたWoven Felted Rug の制作を復活しました。このラグ、織っただけではなくその後にフェルト化させることによって肌触りの柔らかさに加え、厚みと丈夫さが増します。つくり続けて30年余りたくさんの方々に愛用していただいていたものですが、近年体力的に辛いものがあったので休んでいました。と言うのもフェルト化させるのに3日間、フルマラソンを3回走るくらいの体力が要ります。しかし今年の正月から我が工房に参加してくれている若き男性アシスタントの本多君がその役割を担ってくれることになりました。有難いことです。

注文を頂きながら何年もお待たせしていましたがこれからはせっせと作って行ける態勢が整いました。今暫くお待ちください。そしてラグにご興味のある方、ホームページの写真をご覧下さい。注文有難く受け付けます。

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縮絨が終わったラグを木製のフレームに釘で打ち付けてかたちを整える。織り上がったものからは約15%縮む。
そして新たな経糸の整経を機に直接取り付けた部分整経器で整経する。

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