ピーターと僕

1978年夏に初めてピーターを訪ねて行きいろいろな染織の話しを聞かせてもらいました。彼の代表的な作品であるShaft Swiching のラグやMacro-gauze のタピストリーを見せてもらいながらの技法の解説やそれが出てきた背景などをやさしく判り易く説明してもらいました。わずか数時間の滞在でしたがその優しい眼差しと親切な人柄に魅せられぼーっとして帰ってきたのを覚えています。その後お礼の手紙を書いて僕が如何に彼の仕事に引きつけられたかを伝えました。そして12月に入って一通の手紙が彼から届きました。イギリスにきて半年余り今度のクリスマスにはどこか行く所があるのかな?もしよければ彼の家族と一緒にクリスマスを過ごさないかというお誘いでした。イギリスのクリスマスはやはり日本の正月と同様、家族と一緒に過ごすことが普通でそんなところに呼んでもらえるなんてと大喜びをしました。イブからクリスマスの当日そしてボクシングデイと3日間を彼と奥さんのエリザベス、息子のジェイスン娘のレイチェル達と静かに楽しく過ごしました。それ以降時々の手紙のやり取りなどで連絡を取るようになりました。

僕はイギリスの美術大学Weast Surrey College of Art and Craft (現 University for Creative Art)の染織科に入ったのですがそれ以前に日本やオーストラリアなどでの経験を考慮してもらい基礎の1年と本科の3年のコースを2年で終了できることになっていました。それに加え週1の非常勤講師としても同じ染織科の中で教えるようにもしてもらいました。ちょっと日本では考えられない計らいだったのですが僕としてはうれしい待遇でした。それに加え僕は自分が勉強したいカリキュラムをある程度自由に組むことも許してもらっていました。(勿論学科の論文の提出は義務づけられていましたが。)そんな訳で学校に行く変わりにピーターの工房で彼の仕事の手伝いをすることで単位をもらえるように交渉したらすんなり認めてもらいました。彼の工房での約3ヶ月は僕にとっては夢のようでした。ピーターの一挙手一投足を見ながら仕事ができる、それまで自分のペースでやっていた仕事も彼の手の動きの素早さや要領を見ることで毎日が充実したでした。また毎晩の食事のあとの団らんでも彼が見てきた世界の染織の話しや手ほどきなどを受けるありがたさ。そしてあてがわれた寝室がピーターの図書室であったことで毎晩ベッドに入りながらとてつもない数の蔵書の中から数冊の本を持ち込み眺める(読む)幸せを味わいました。

知れば知る程ピーターの染織に関しての造詣深さに感心させられました。しかしそれだけではない彼の魅力を毎日接することで感じどんどん魅されて行きました。彼の人懐っこい笑顔や機知のあるジョークを聞くたびにこんな人になりたいと思い僕の目標になっていきました。イギリス滞在中の3年半の間にはことあるごとに彼に会いに行きました。そしてそれ以降も長い付き合いになりましたが絶えず僕の指標であり続けてくれました。こんな風に最初はなんだか訳の分からない日本の若造に対しても親切に隔たりなく接してくれたことには未だに感謝しています。そんなこともあって僕は国内外関係なく若い染織を目指す人たちには僕がピーターから受けた恩返しだと言う気持ちも含めてなるべく見学などの受け入れをしていきたいと思っています。

ピーターのことはまだまだ書きたいことがいっぱいです。つづきは別の機会に。

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帯の染め、継続中です。

今日は暑かった!湿気がすごくてムシムシした工房には唯一扇風機が2つあるだけです。クーラーなる近代的設備はなくただ耐えるだけ、精神的にも強くなります。でもまだ7月の初め、本格的な暑さはこれからです。

工房は右京区嵯峨越畑という里山にあります。自宅からは歩いて7〜8分、かつてはシクラメンの花を栽培していたガラス張りの温室を改造したものです。広さは約60坪、かなり広く長さもあります。3分の1は染め場で残りが機織り場になっています。なにせ広いので暖房、冷房など快適にするにはコストがかかり過ぎる為我慢が要求されます。東に地蔵山がある集落の山際に工房があるので午前中はそこまで暑くなりません。しかし午後からは陽が差し込むようになるので室温は急上昇します。5月くらいからはサマータイムを実施し朝は8時から仕事を始め昼休みを長く取るようにしています。でも暑いのに変わりはありません。ただただストイックに仕事するのみです。救いは朝晩が涼しくなってくれることです。寝苦しい夜というのは一夏に一度あるかないかなのでありがたいことに夏バテにもなりません。食欲不振の経験もありません(これは単に食いしん坊ということかも)。そんな環境で過ごす毎日ですが楽しみは夕方の愛犬との散歩です。棚田が広がる山里の緑と時には夕焼けの空が気持ちをふっと優しくしてくれます。

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新たに帯2本

 先日来から取り組んでいた帯2本がしあがりました。

やはり爽やかな青を基調にして淡いグレーの中に
ピンクの縞や緑の縞を入れた綺麗な色に挑戦です。
もう少しこの手の感じでやってみたいと思っています。
今日の午後に発送。明日には東京。

電動管巻き器が完成

 先日、作業途中でストップしていた電動管巻き器を

きょうの午後に仕上げた。というか仕上げてもらった。
元々使っていた電動管巻き器を両サイドから押さえるようにしよう
と思いつき、やっつけ仕事でそこらにあった木を使って土台にする。
そこから実際どうしたら出来るのかを考え考えしてDIYなどで
必要と思える部品などを買い集める。
原理的にはそんなに難しいものではないと高をくくっていたのだが
いざ作業してみるとそれなりに精密さが必要と判り自分ができるところまでで中断。
今日はその最終作業をUNOU furniture workshop の宇納さんにお願いし
仕上げてもらう。丁寧に丁寧に円錐形の部品のセンターを出し、穴を開ける。
いくつもの部品のセンターを出しては穴をあけベアリングを埋め込んだり
留め金を打ち込んだり。とにかく丁寧に繊細に作業をしてもらう。
僕はただ横で眺めているだけ。そして小一時間程で思っていたように
出来上がり、うまく働いてくれるようになった。有り難い。
やはり餅は餅屋、帰りしなに宇納さんがぽろりと一言。
「もう少し最初にちゃんと設計しなくっちゃ」と云われました。
確かにこれが織り物であれば僕も同じことを云っただろうと思う。反省。
しかしその道の専門家は尊敬に値する、、。

経絣の着尺

 昨年から週一日で京都市立芸術大学の

染織科のお手伝いに行っています。
4月から始まった3回生の前期の課題はきものを織る。
4回生の一人と3回生4人の5人が経絣を取り組み始めました。
縞の中に組み込んだ単純な絣もあれば
大柄の絵羽になるような絣まで様々。
各自細い絹糸を使っての着尺に初挑戦。
昨日から経絣の括りや染めが始まった。
なんとかうまく進んでいってくれるように祈るばかり、、。
自分の仕事としては帯の染めが始まった。

帯二本

 ゴールデンウィーク前から織り始めていた帯二本が

先日ようやく織りおわりました。
今回は初夏に向けて明るい色使いでやってみました。
青と淡いグレーの組み合わせ。
いい感じに織り上がり自分でも気に入りました。
いつもの砧打ちも先輩の新道さんから借りた布用の砧で。
やはりそれ専用のものは使い易く今まで使っていた
藁打ち用とは雲泥の差です。
この二本すでに青山 八木にいきました。

手抜きのススメ その2

 

先に書いたブログで誤解があってはいけないので補足します。
「手抜き」をするということは決して質を落とすということではありません。
私が云っている「手抜き」とは無駄な労力を使わずに効率よく
一つ一つの行程を進めることです。しかしこの「手抜き」をするには
それぞれの行程をよく理解し熟知していなければ簡単にはできません。
そういう意味では、まず染織全体をしっかり理解する必要があります。
そしてそれを知った上でいかにいいものを効率よくつくることができるか
ということを常に考えることがとても大事です。
つまりは質のいい機械製品にどう対抗するかということにも
繋がることになります。
一つ一つの行程に自分がどうしたいか、何をしてやれば次にいい結果が
でてくるかを考えることの中に今までやってきたこととは違う方法が
見つかったりもします。
もうすぐ62歳になる私ですが未だにああでもないこうでもないと
日々考えながら仕事をしています。
そして、あれ〜ということがままあります。
なんで今までこれをしてこなかたのか?などという発見があります。
そしてその都度それに必要な道具が要れば自分で作ったり、頼んだりしています。
そんなことをしながら毎日仕事を楽しんでいます。
正直なところ最近は以前より染織していることが楽しくてしようがありません。
有り難いことです。
先日お伺いさせてもらった伊賀の陶芸家の工房の壁です。
久しぶりに土壁の美しさに感じ、思わずシャッターをきりました。
冨田潤
http://www.juntomita.com

手抜きのススメ

 以前書いた「染織は引き算」の中で書いた内容と矛盾するかも知れないが

私は絶えず手抜きを追求してきました。
染織をする上で基本動作はもちろん大変大事です。
それぞれの行程で次に繋がる作業をその行程を考えながら
作業することでよりスムーズに次の仕事に繋がっていきます。
そういう意味では学校などでは一般的に間違いのない正道なやり方を伝えます。
しかし、作業の方法や手順などに絶対的な正道はないのです。
そのときの条件や状況などによってまったく真逆な方法ということもあります。
染織をやり始めの人たちに時々見かける光景に、教えてもらった事に
とても忠実にそれを守り例えとんでもなく効率が悪いことでも
延々と忍耐強くまじめに取り組んでおられる場面があります。
そしてしんどい事でも忍耐強くすることがが染織をする人の美学のように
思われているように見える事があります。
もちろん細かい作業で忍耐を要求されることは多々あります。
しかしこのつらい作業をどうすれば楽にできるかを考えてみると
意外といくつも答えが出てくることがあります。
もっと楽に!もっと楽しく!作業することを考えてみたらいいのではと思います。
それをすることで新しい染織の道が見つかるかも知れません。
そういう意味で私は「手抜きのススメ」を推奨します。
そして楽しく織りに取り組めたらいいなと思います。
冨田潤
http://www.juntomita.com

何故手織りなのか

染織を始めた頃、何故手織りなのか?
何故手仕事なのか?と自問自答する日々が続きました。
しかしそれまでの人生で味わった事のない楽しさを
染織を勉強するなかに見つけ、そして自分の手を動かして
何かをつくるという行為に毎日興奮して過ごしました。
時々行った東寺や天神さんの市で見たり触ったりする昔の手織りの布には
初心者にも感じ取れる程の風合いや味わいなど工業製品にはない
やさしさがあることを手で感じました。そしていつかはこんな布を
織りたいと切に思いました。
しかしこれほど機械化が進んだ現代で手仕事をしてほんとうに
生き延びれるのだろうか?という疑問が絶えず私の頭の中に
居座っていました。時代に逆行するような手織りを続けて生きて
いけるのだろうか?ただ単に自分が好きだからこの仕事について
いいのだろうか?そんなことを問い続けながら結局は今日まで
この染織という仕事を続けてきました。
この現代において工業生産された布に素晴らしいものがたくさんあります。
それに対抗して手織りの布をつくるにはそれなりの存在価値が
ない限り続けることはできません。どうしたらいいのか。
どのような付加価値をもった布であればいいのか?
そのようなことを絶えず考えながら今日まできました。
果たして今までやってきたことが正しかったかどうか未だに
わかりませんが、なんとか今日まで続けて来れました。
私がこれまで一つだけ自分の肝に命じてきた事は例え手織りであろうと
最低限、工業生産された布と同等あるいはそれ以上の質のものをつくる!
ということでした。手作りということに甘えてはいけないと絶えず
自分に言い聞かせてきました。布が布としてその価値がないようなものは
たとえどれほど時間をかけて手間をかけて作り上げてもその存在価値は
ありません。最終の結果がすべてです。その途中を語る必要はありません。
ときどき耳にする言葉に「これは手作りで世界にひとつだけ」という
陳腐なコメントがあります。手作りがいい訳でも世界にひとつがいい訳
でもありません。例え大量生産されたものでも私が手に取った瞬間から
それは世界にひとつだけのものになります。そこになんの意味もありません。作り手は手作りということに甘えてはいけません。
こんな事を日々考えながら仕事をしています。
そしてさて私自身、手織りということに甘えていないだろうかと
頭を巡らしている今日この頃です。

染織は引き算

 

先日、経糸を染め終わった段階ではとても満足するようなものになっていたので
緯糸を入れるのを楽しみにしていました。
しかしいざ緯糸を入れてみると自分が思っていた程の効果が
表れませんでした。少し残念。
そこで常々思っている「染織は引き算」を再確認させられました。
「よし、今度はこうしよう」と思い織りの設計を考える、
この頭の中で思い描いたものが完璧なものとします。
経糸、緯糸の素材を選びそれらに見合った筬(1センチ間に何本の経糸が入るかを決める)
を選ぶ。この時点から引き算が始まります。
その後、糸巻きから始まり大管巻き、整経、経巻き、染色など様々な行程を経て
ようやく織りにつながります。
しかし、そのそれぞれの行程で絶えず引き算をされるのが染織です。
次の行程にうまく繋げられて当たり前。
一つ一つの行程をちゃんとこなして如何に減点を少なくするかが
絶えず要求されます。
少しでもいい加減なことをすればてきめんに次の行程に支障をきたしてきます。
決して焼き物のような窯の中で炎がつくり出してくれた「窯変」などという現象は
染織の世界では起きません。一つ一つの積み重ねの結果が如実に織り上がった布に表れます。
そういう意味では今自分がやっていることが何を何の為にやっているのかを
自分で把握しておく必要があります。次の行程がスムーズに進む為には今何をしてやれば
いいのかを考えて作業することが必要です。
このように書くと何か面倒なことのように思えますが、要は自分のいいものをつくりたい
という熱意をどのように表現し、伝えるかを真摯に考えながら作業するということなのかな
と思います。
最近はそのようなことが楽しんでできるようになっている自分をみつけ
ちょっと嬉しくなっています。